解説湯河原温泉の歴史

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湯河原温泉は、万葉集にも詠まれた歴史ある温泉で、関東でもっとも古い温泉の1つで知られている。

湯河原温泉は数十万年前に活動を終えた古い火山(湯河原火山)の旧火口が崩壊して出来たカルデラ内に湧出したもの。

そんな湯河原温泉の開湯伝説は複数伝えられている。

恩を返したタヌキによる発見説、役行者による伝説、薬師の湯由来説、弘法大師発見説、二見加賀之助重行による発見説などである。

湯河原温泉:万葉公園 湯河原温泉は万葉集に 『足柄の土肥の河内に出ずる湯の世にもたよらに子ろが言はなくに』  と詠まれており、「足柄の土肥の河内に出づる湯」という温泉は湯河原であることを、有名な歌人佐々木信綱博士によって考証されている。万葉集の中で、温泉の湧き出ている有様を歌っているのは、この一首のみ。

この歌碑は、温泉街の中心にある万葉公園(左画像)の中に設置されている。

古くから「子宝の湯」として有名で、鎌倉・室町時代には「こごめ(子込め)の湯」、江戸時代には「小梅(子産め)の湯」と呼ばれ、湯治場としてにぎわったという。

江戸時代には、万病に効く湯河原の湯を詰めた角樽で神輿(みこし)を組み将軍家に献上したという故事が残されている。

明治以降は多くの文人・画家に愛され、国木田独歩が晩年に『湯河原より』『湯河原ゆき』などの短編小説を執筆したほか、夏目漱石が絶筆となった『明暗』を湯河原で執筆した。また島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎らも訪れている。

現在も、湯河原温泉は日本旅館主体であり、古めかしい"温泉街"の風情が残っている。

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